でーたーでーたー♪    (枕草子と一神教とシェークスピアと)

6月に入って2週目だったか?ぐっと夜の闇が深くなった晩があった。
米屋の羊羹が虎屋の羊羹に代わったような。

闇が濃密になって、艶すら感じられるほど。闇の中に突き進むと、漆黒のきらめきに包まれるようで気持ちが高揚する。

素行の良くない少年少女たちが深夜徘徊に繰り出すのも無理はない。清少納言だって同じ気持ちだったんだろうから。


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今日は満月かぁ!と眺めていたら工房の前に広がる田んぼにもきらめくもの発見!



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夏の夜に出るものといえばオバケと決まっとるもんだが、こいつはホタルに出会うより難しい。
そもそも、なぜ夏にオバケなのか?





数年前の真冬の晩、一人で峠道に車を走らせたことがあった。峠のてっぺんまで来て車を止め、空を眺めてみた。
その晩はよく晴れ渡り、空気も澄みきって、吐き気を催すほどの数の星々が山の稜線をくっきり浮かび上がらせていた。



それを眺めて感じたのは「宇宙で独りぼっち」という孤独感。絶対的に広く、絶対的に遠い宇宙の中にポツリと浮かぶ小さな星、地球。砂漠の民の宗教は一神教であるというのは、こんな感覚が根源になっているのではないかと思った。

というのも、その峠、岐阜県内でも最低気温を毎年記録する寒冷地。その晩も-20度を下回って大気中の水蒸気はことごとく凍って地に落ち、湿度が砂漠並みに低くなっていたからだ。






夏の夜に立ち返ってみると、大気に立ち込める水蒸気が見晴るかすことを阻み、肌身に迫る闇にナニモノかが紛れてるような気さえしてくる。そんなに身近に不可思議な存在を知覚して生きていると、アミニズムや妖怪やオバケが生まれてくるのもうなずける。



もしかしたら、夏の夜の漆黒のきらめきに誘惑されて夜遊びに耽るとき、闇に潜んで現れる八百万の神々と戯れているのかもしれない。


シェークスピアが「夏の夜の夢」を書いたのも、気温こそ高くないものの、湿度の高い島国ゆえなんだ。







今夜現れた八百万の妖精の正体はこちら。



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by daifunka_blog | 2014-07-12 22:54 | 飛騨暮らし
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